3月11日にスペースシャトル「エンデバー号」が、土井隆雄宇宙飛行士とともに宇宙へ 打ち上がったことは、皆さんの記憶にも新しいことだと思います。今回は、そのエンデバー号で、土井隆雄さんが着用した船内服を開発された本学被服学科多屋 淑子教授に、船内服の研究についてお話しを伺いました。
---船内服の研究に携わられたきっかけは何だったのですか?
一般には「宇宙普段着」と呼ばれていますが、正式には宇宙船の中で着るものですから、「船内服」と言います。そもそも私が船内服の研究を始めるきっかけ になったのは、10年前に宇宙での生活を調べてみたときに、じつは殆ど研究がなされていなかった分野だと知ったことです。私の専門は被服学の中でも、衣環 境学であり、「着ていて心地よい衣服とは何か、そして衣服を通して、より安全で快適で豊かで楽しい生活をクリエイトするにはどうしたらよいか」というテー マで研究を進めています。着る人が満足し、健康を維持でき、環境に適合し、生活のアメニテイを高める衣服を研究しています。その一貫として、宇宙で着る 「船内服」についても関心があったわけです。
発端は、私のホームページの中で、「被服は衣環境を制御するツールである」という記載を見て、未来工学研究所というところから宇宙での衣服を研究しませ んかとお誘いを受けたことです。そのときは宇宙は私の研究対象ではなく、何度かお断りしました。それでも大学に足を運んでいただいて、話をするうちに、宇宙という世界は何も特別な研究対象ではなく、地上で研究している極限環境の衣服と同じ考え方で良いと考えるようになり、お引き受けしました。船内服の場合 は、閉鎖された宇宙船の中で着るものですので、この状況は、地上の生活とリンクできる部分もあることに気が付きました。そのような理由から、宇宙は、私の 研究対象の延長線上にあると思いました。
---実際に研究をなさってみて、苦労されたことや、新たな発見は?
私は衣服を通して生活支援を行うことが研究テーマです。具体的には、衣服を着た時の人の生理的な情報や心理的な感覚を計測し、快適さをクリエイトするに はどうすればよいかを研究しています。調べてみると、船内服の場合は、これらの研究はまったくなされていないことがわかりました。宇宙と言えば先端科学の イメージで捉えられていますが、宇宙の衣服については、まだまだという感じでした。まず地上と宇宙の違いは、宇宙船内は、限定された空間であるということ です。地上の水も使えません。重力も違います。また多国籍の人たちが宇宙船の中で共同で生活します。そのような条件で求められる衣服とは何かという要求項 目を整理することは大変でした。具体的には、今までに、宇宙の生活関連の研究は行われていないため、NASAのホームページを手掛かりとして情報を収集したり、その他の国の宇宙機関の有人宇宙開発分野の資料からも関係ありそうな情報を集めました。その膨大な資料の中から生活に関係のある部分を抽出しまとめ ることは、大変な作業でした。そのようにして、宇宙で生活するための必要な条件を調査分析し、宇宙飛行士の方々のアンケート結果も合わせて、宇宙の生活に 必要な情報を整理しました。
2年間という時間を費やしてしまいましたが、その結果、自分なりの考えもまとまり、次に、衣服を製作するために、企業に声をかけました。当時は、生活関 連の企業では、宇宙を対象にした取り組みを行っているところはありませんでした。ただし、根気よく説明しますと、地上のいくつかの技術を利用し、それを融 合すればできるかもしれないとわかっていただきました。船内服については、まず素材を扱う企業、衣服の形を扱う企業、衣服を縫製するする企業とそれぞれに 声をかけたわけです。それから、宇宙では物がふわふわ浮いてしまうので、それを固定するマジックテープを作っている企業にも声をかけました。そして宇宙と 地上を結びつける協力企業を5社選定し、いくつかの地上の技術を宇宙仕様の技術として新しく開発しました。
地上だと宇宙のことはやはりわからないことが多いですね。地上では、宇宙には重力がないことを理解することは難しい。体からの熱や水分の移動が宇宙でど うなるかは、とても難しい課題です。航空機を用いたパラボリックフライトを行い、重力ゼロの環境を30秒ほど再現する実験を行い、重力が変動するときの衣 環境や心拍の変動や衣服の形の変化について実験しました。しかし、30秒では着心地の評価実験は不可能ですね。宇宙で長期間、着用評価を行うしかないこと になります。それを土井宇宙飛行士が行ってくださったわけです。もちろん、地上での着用実験も行い、衣服素材の性能評価実験も行いながら、宇宙の生活に求 められる船内服開発を行いました。研究自体は楽しいものですが、地上で想定した機能が宇宙でどのようになるかと常に冷静な目で分析することも忘れませんで した。
---船内服と地上服の違いは?そしてご自分が開発された服が宇宙へ行くことはどんな思いがしましたか?
船内服の特徴と言えば、こういうことです。
衣服や靴下は縫い目がありません。体や足にストレスがかからないように工夫されています。
衣服については、宇宙特有の姿勢がありますので、体に負担がかからず、動きやすいということですね。それから衣服は機能性はもちろん重要ですが、着用者の好みのデザインになっているかどうか、美しいシルエットも大事です。
すべてにおいて、微小重力環境で衣服の着心地はどうか、身体に負荷がなく、動きやすいかどうか、寒くはないか、清潔かなどを考えながら、地上で何度も実験を行いながら開発しました。
宇宙から、土井隆雄宇宙飛行士が、「とても着心地がよい。船内服は成功している」とおっしゃってくださったことはとてもうれしいことでした。また、ス ペースシャトルの打ち上げの時に、土井さんと共に、私たちが開発した船内服がシャトルに搭載されて、今、宇宙まで飛び立っていくと思うと感無量でした。さ らに宇宙から、スペースシャトルの中の様子が映像で流れましたが、そこで船内服を土井飛行士が着用してくださっている映像を見て、不思議な感じもしまし た。何か月前は、それらの衣服が大学にあったわけですから。
これらの成果を通して改めてわかったことがあります。
宇宙開発の分野に生活の視点が初めて取り入れられたことです。これは今回の土井飛行士のミッションの大きな成果の一つだと思います。すなわち、今回の ミッションは、日本のモジュール「きぼう」が初めて国際宇宙ステーションに建設されるという記念すべき重要なミッションでありました。それに加え、宇宙飛 行士の生活支援を行う船内服の着用実験も行ったとことが、他国から高く評価されたと伺っています。
これからは、我々の船内服だけではなくて、その他の生活関連技術のの研究も必要であり、その第一歩を船内服で実現できたことですね。今後は、このような研究を通して宇宙飛行士の船内での生活がもっと豊かになることと思います。
---今後の展望はいかがでしょう。
私の研究は衣服を通してすべての人の生活を支援することが目的ですから、船内服はある意味極限状況で使用することから、地上の病気の方、身体に障害を 持っている方にも活用できると思います。宇宙での成果を特に福祉分野へ応用することは大変意義のあることと考えています。宇宙から地上の生活への応用を上 手く行っていきたいと思います。
福祉分野にこれからどうスピンオフするかが課題です。フィンランド、スウェーデンでなされているように、日本のさまざまな技術を福祉分野へ応用することを至急に検討しなければなりません。
船内服は、企業との連携が上手く行き、成功しました。産学連携が良い形で動いたと思います。複数の企業の技術を融合して、新しいもの作りをするリーダー シップをとることが大学の役割であると考えています。すなわち、目的を見据え、もの作りのための適切な知的財産を提供することが大学の役目です。そして、成果を社会に還元することを考え、実行することも大切なことでしょう。
被服は、常に私たちと行動を一緒にしていますので、たとえば、衣服のどこかがちくちくするしたり、動きにくいとか、何らかの不都合があると、他の生活行 動に支障がでてきます。このようなことから、毎日、何気なく着ている衣服は、人の生活を支えるために重要なものです。それから、衣服を着ることで生活が楽 しくもなります。衣服によって自由に自己表現もできます。船内服を研究することにより、心と身体の健康を維持するために必要な身体や衣服の清潔さの保持技 術が開発され、その成果を地上の福祉分野へ応用の可能性が出てきました。こういうことも宇宙利用の一つであると考えています。これから日本女子大学被服学 科を目指す皆さんには、衣服を通して、生活をより安全に快適に豊かに楽しくするにはどうしたらよいかを一緒に考えていただきたいですね。被服学科は、被服 に限らず人間生活の安全や快適性の基本となる生活関連技術の研究開発を行っています。私は今までの研究を通して、若い学生に望むことは、自分の信念を持ち、何事も一生懸命にすることを大切にしていただきたいということです。そうすると、自然と自分の進む道が大きく開けてきます。それから、大切なことは、 人と人との信頼関係を大事にしてゆくことが必要でしょうね。私も船内服開発では、多くの仲間をえることができ、多くの人たちに助けられました。